遠く離れた人の声を、ふと聞きたくなるときがないでしょうか。忘れかけていた名前、返せなかった言葉、心のどこかに置き去りにしていた記憶――映画『お元気ですか?』は、そんな心の奥底に静かに手を差し伸べる作品でした。
本作は、アクション映画を得意とし、数多く手がけてきた室賀厚監督が、自身の父親を看取る日々のなかで生まれたシナリオをもとに撮り上げたヒューマンドラマ。主人公・藤木冴子を演じるのは、女優の宮澤美保さん。
旅先の公衆電話から、かつて関係のあった10人の人々に「お元気ですか?」と電話をかけていく――物語の展開はそれだけですが、その中には人生の重さと温もりが詰まっています。
特徴的なのは、電話の相手の声が一切登場しない点です。画面に映るのは冴子一人。彼女が語りかける声、表情、沈黙だけで、相手の存在を感じさせ、観る者の想像力を強く刺激します。
これは役者にとって非常に難易度の高い演技だと思いますが、宮澤さんは一切の芝居臭さを排し、まるで本当に相手がそこにいるかのようなリアリティをもって演じきります。語りかける言葉の間合い、わずかな目線の揺れに、冴子という人物の内面がにじみ出てくるのです。
とりわけ印象的なのは、旅の途中で出会う若い医学生カップルへの言葉です。冴子は彼らに微笑みながらこう言います。
「二人とも、お元気で」
それは、若者たちの未来を祝福する言葉であると同時に、自分の歩んできた道への静かなけじめにも感じられます。冴子のまなざしには、すでに過ぎ去った時間への悔いと、誰かの幸せを心から願うやさしさが重なります。
そして、物語の終盤にかけられる最後の電話。この場面では、冴子の声がわずかに震え、言葉に詰まる瞬間があります。
誰に向けた電話なのか、なぜ今、連絡を取ろうとしたのか――それは明示されません。しかし、その余白があるからこそ、観る者の想像がふくらみ、より深い余韻を残します。
本作はストーリーの起伏に頼らず、むしろ「間」や「沈黙」、「日常の静けさ」の中に感情をたたえています。派手な演出を一切排した演出によって、観る者は自然と、自分の過去や人間関係を見つめ直すことになるのです。
「お元気ですか?」という一言には、想像以上に多くの感情が込められています。それは懐かしさであり、詫びであり、祈りであり、時に勇気でもあります。
言葉にするには少し気恥ずかしいけれど、本当は誰かに伝えたかったその気持ち。この映画は、そんな感情を呼び起こしてくれる、小さな光のような存在です。
観終えたとき、きっと誰かの顔が浮かぶでしょう。そして、「久しぶりに連絡を取ってみようかな」と、そっと携帯電話に手を伸ばす自分に気づくかもしれません。







