「私たちの顧客は誰か?」
この問いは、経営者や専門店の担い手にとって最も基本的である一方で、実は見過ごされやすい問いでもあります。多くの場合、「地域の主婦層」「幅広い年齢層」「老若男女」など、あいまいで漠然としたカテゴリーで顧客を捉えているのが現実です。
しかし、こうしたぼやけた顧客像のままでは、店が提供する価値や魅力が十分に伝わりません。結果として商品の選定、接客、情報発信にまで一貫性のない曖昧さが生まれてしまいます。
経営学者ピーター・ドラッカーは、「顧客は製品を買うのではなく、製品を通じて価値を得る」と語っています。つまり本当に見つめるべきは、「商品そのもの」ではなく、「顧客がその商品を通して得たい価値」です。この“価値の受け手”としての顧客像を、具体的で生き生きとした姿として描き出すことこそ、今の専門店に不可欠な視点なのです。
顧客を“ひとり”に絞り込むことは、決して「顧客を限定すること」ではありません。むしろ、「届けたい相手の顔をくっきりと浮かび上がらせ、その人がどんな日常を送り、どんな悩みや期待を抱えているのかを深く理解する」ことを意味します。
たとえば、昼休みに健康的で手軽な食事を求める30代の働く女性。このような顧客像を明確に描けば、その人のニーズや感情に徹底して応える商品づくりや接客が可能になります。そうしてこそ、他にはない価値提供が実現し、「この店に行きたい」と思ってもらえるのです。
ペルソナ設定が生む信頼と共感
東京を中心に展開する「Soup Stock Tokyo」は、“スープ専門店”として知られていますが、その成功の本質は、「誰に向けて価値を届けるのか」を明確にしている点にあります。創業当初より、同社は忙しく働く都市の女性をペルソナに据え、「短時間で栄養のある食事を摂りたい」「落ち着ける空間でひと息つきたい」といった具体的なニーズを軸に、店づくりを行ってきました。
店内の空間は、ひとりでも気兼ねなく入れるよう設計され、無言でも心地よく過ごせる雰囲気が漂っています。そして提供されるスープも、ただおいしいだけでなく、「冷えた体と心を温める」ことを意識して開発されています。
たとえば、食べやすさや栄養バランス、口当たりや香りの繊細さまでが細かく設計され、まさに“その人の昼休み”という文脈の中でベストな体験を届けようとしているのです。こうした細部へのこだわりは、単なる商品開発ではありません。ペルソナ=顧客像を具体的に設定しているからこそ成り立つ、価値提供の設計思想なのです。
このようにしてSoup Stock Tokyoは、顧客の心に深く届く体験を提供し、多くの共感と信頼を得てきました。ペルソナを設定することの力が、ここにあります。
顧客像を共有する文化を育てる
顧客像を具体的に描くことは、マーケティングのためのテクニックではなく、経営そのものの方向性を決定づける羅針盤です。そしてそれは、経営者だけが担うものではありません。スタッフ全員がその“顔”を思い浮かべながら仕事に取り組むことで、店全体に一貫した方向性と温もりが生まれていきます。
「この商品は、あのお客様のために仕入れたもの」「このディスプレイは、あの方が笑顔になるように工夫したもの」──そんな意識がチームに根づけば、日々の仕事に誇りとやりがいが生まれます。
また、顧客像は一度定めて終わりではありません。時代や社会の変化に合わせて、見直し、更新していくことが必要です。コロナ禍やライフスタイルの多様化によって、顧客の価値観は大きく変化しました。以前は「価格」や「便利さ」が重視されていたものが、今では「共感」「安心感」「応援したい」という感情が消費の動機となっています。
だからこそ、顧客像を明確にし続けることは、専門店として進化し、存在意義を深めていくための基本です。お客様の“顔”を忘れず、その人生の一場面に寄り添うという姿勢が、選ばれる理由となります。
次回は、「顧客にとっての価値とは何か?」を掘り下げていきます。商品そのものではなく、そこから得られる“意味”こそが、専門店が築くべき価値の核心です。どんな小さな店であっても、誰かの人生に意味をもたらす力がある。その気づきが、商いの未来を切り拓いていくのです。







