昨年BSで放送されると大きく話題を集め、ギャラクシー賞入賞をはじめ、高い評価を受けたテレビドラマ「舟を編む」がNHK総合で再放送されています。原作は2011年刊行、三浦しをん著『舟を編む』。本書は、出版社の辞書編集部に勤める人々が、一冊の辞書『大渡海(だいとかい)』を完成させるまでの年月を描いた長編小説です。
物語の中心人物は、馬締光也(まじめ・みつや)。不器用で社交性にも欠ける彼が、辞書編集という仕事と出会い、持ち前の誠実さと情熱で仲間たちとともに、言葉の海を渡るための「舟」を一から編んでいきます。
「言葉は、意味という海を渡るための舟だ」(本書208ページ)
この一文は、商品の価値を伝え、顧客の心に届かせるために日々言葉を選び続ける商人の営みと、まさに重なるものです。誇張せず、偽らず、ただ正直に、正確に、商品やサービスの価値を伝えようとする――そのひたむきな姿勢にこそ、信頼が宿るのです。
辞書編集という仕事には、ただ膨大な語釈を集めるだけでなく、長い時間をかけて検討と修正を繰り返す「根気」が求められます。新語や時代に合わせて語釈を更新しつづける「柔軟さ」と、間違いのない語義を示すための「厳密さ」の両立――これはまさに、商人が商品の品質と顧客の声に向き合いながら、日々工夫を重ねて店を守り育てる姿そのものです。
「人の使う言葉は、生き物だ。変化していく。だからこそ、辞書は面白い」(本書65ページ)
こう語るのは、編集部のベテラン・荒木。移ろいやすい世の中にあって、柔軟でありながらも揺るがぬ信念を持つ姿勢は、現代の商人にも欠かせない視点ではないでしょうか。
馬締たちは、辞書の完成までに15年という歳月をかけます。華々しい成果や目立つ活躍ではなく、毎日の積み重ね。今日も、明日も、同じように言葉と向き合い、辞書を前に座り続ける。この「ひたむきさ」こそが、仕事の本質であり、真のプロフェッショナリズムだと本書は語ります。
「ことばに誠実であれ。そうすれば、ことばは必ず応えてくれる。」(本書174ページ)
商売においても同様です。派手な戦略や一時の流行に惑わされず、顧客一人ひとりに真摯に向き合い、誠実な言葉を積み重ねていくこと。それこそが、信頼という無形資産を築く道なのだと教えてくれます。

この物語は、2013年に石井裕也監督の手で映画化されました。馬締役の松田龍平さん、ヒロインの宮﨑あおいさんの演技は、静けさの中に芯のある情熱を感じさせ、原作の空気を見事に再現しています。
また、2024年にはNHKにてテレビドラマ化され、ヒロイン役に池田エライザを迎え、女性の視点から描かれる新たな魅力を加えました。映像作品として『舟を編む』に触れることで、言葉の重みや仕事への向き合い方が、より立体的に心に刻まれることでしょう。

本書が私たちに教えてくれるのは、「貫く意志」こそが仕事に魂を与えるということです。辞書づくりという長い航海の中で、どれほどの困難があろうとも、彼らは途中で投げ出すことなく、完成という岸辺を目指し続けます。
商いにおいても同様です。値段ではなく信頼で選ばれる店、流行ではなく理念で続く仕事――それらを支えるのは、誠実で根気ある姿勢、そして何より「続ける覚悟」ではないでしょうか。
「言葉を手に入れた人間は、それだけで心が自由になる。」(本書94ページ)
これは、商品やサービスに心を込め、伝える言葉を磨き続ける商人にとって、大きな励ましとなる言葉です。言葉を持つこと、言葉に誠実であること、それこそ人の心を解き放つ力を持つのです。







