今、日本のあらゆる産業で「次世代の人材不足」が深刻化している。中でも商業・流通業においては、単なる労働力不足にとどまらず、「志ある後継者」が育ちにくい土壌が問題になっている。
だが、そんな時代にあって、創立以来ぶれずに「商いとは何か」を問い続けている大学がある。神戸市西区にある流通科学大学だ。先日、同大学の長坂泰之教授の授業でゲスト講義をさせていただいた。
理由は長坂教授との長年の親交によるが、それだけではない。この大学の礎には、小売業界の革命児と呼ばれた男の志があるからだ。ダイエー創業者にして、昭和から平成にかけての流通改革を牽引した男──中内功(なかうち・いさお)である。
中内功は、戦後の混乱期に「安くて良い商品をすべての人へ届ける」ことを目指し、1957年に大阪・千林でスーパーマーケット「主婦の店 ダイエー薬局」を開いた。その想いは、単なる価格破壊ではない。誰もが豊かに暮らせる社会を、商いの力で実現するという“社会運動”に近いものだった。
その信念を一言で表したのが、「流通は世直しである」という言葉だ。彼にとって商業は、利潤追求の手段ではなく、社会課題の解決であり、人間を幸せにするための手段だった。そして、その理念を次世代に継承する場として創設されたのが、流通科学大学である。
同大学は、1990年に創設された比較的新しい大学だが、その教育理念は明快で深い。「流通を科学する」という建学の精神には、「現場に根差した実学」「商いを通じて社会を変える志」「人間としての成長」という三つの軸が込められている。
とくに注目すべきは、「実学」を徹底している点だ。座学だけでなく、現場を歩き、人に会い、実際に商いを体験する教育が徹底されている。学生が地域の店舗と連携して商品企画を行う、店舗運営のシミュレーションを行うなど、実社会と密着したカリキュラムが特徴だ。
これは、若き日に神戸商科大学(現・兵庫県立大学)を卒業した中内功が、商人としての現場のリアルを体験から学んできたことの裏返しでもある。つまり彼は、自らの経験を次代に伝える“学校”という舞台を、自らの手でつくったのだ。
中内は、大学創設に際してこう語っている。「商売は、人間がやるものや。せやから、人間をつくらなあかんのや」。
つまり、商いの技術や経営理論よりもまず、人としての倫理観・責任感・誠実さを磨くことを教育の核に据えた。流通科学大学では、1年次から少人数のゼミ教育を通じて、対話・傾聴・共感といった“人間力”を鍛える。まさに、商人に必要な「訊く力」「伝える力」を育む環境が整っている。
今でこそ「人間力」という言葉は教育界でも広く使われているが、それを1990年の段階で大学の教育指針に据えていたのは、先見の明としか言いようがない。こうした中内功の志は、決して過去の遺産ではない。彼が体現した「生活者第一主義」「実践からの学び」「商いを通じた社会改革」は、今日の地域商業の再生においても通用する普遍的な価値である。
商いは、ただのビジネスではない。それは、人と人とを結び、地域に活力を生む“文化”であり、“人間の営み”である。だからこそ、中内功が築いた教育の灯を、私たちもまた照らし続けていく必要がある。なぜなら——商人を育てることこそが、日本の未来を育てることに他ならないのだから。