笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

福岡市の中心地・天神に広がる新天町商店街は西日本初のアーケード型商店街として、1946年に戦後復興の象徴として博多商人たちにより創設されました。現在、約100店舗が並び、ファッションや雑貨、飲食など多彩な専門店が商っています。

 

そこに店を構える「しばた洋傘店」は明治39年(1906年)の創業からじつに100年以上、雨の日も晴れの日も、まちの人々とともに歩んできた傘専門店です。その歴史は、単なる老舗という言葉では語り尽くせません。日々の暮らしに寄り添いながら、傘を通じて文化と美意識、そして商いの真髄を伝えてきました。

 

ものを大切にし
人との絆を愛する

 

現社長の柴田嘉和さんは、1946年に新天町商店街の誕生とともに生を受けた、生粋のまち育ち。大学卒業後は一度民間企業に就職したものの、家業の魅力に惹かれて戻り、三代目として店を継いだのです。

 

以降、同店の屋台骨を支えるだけでなく、新天町商店街の振興にも尽力してきました。新天町商店街公社の取締役として、時計塔の設置、地域の共同食堂の運営、音楽イベントの企画など、まちを元気にするさまざまな取り組みを牽引してきたのです。

 

「傘は、人生に寄り添う道具である」と柴田さんは言います。安価な量産傘があふれる現代にあって、同店が扱うのは選び抜かれた品質と、手に取る人の心をくすぐるような一本。修理可能な構造を持つ傘を中心に扱い、破損した傘を「直して、また使う」という文化の定着にも貢献してきました。そこには、ものを大切にし、人との関係を大切にする商人の倫理が脈々と息づいています。

 

特筆すべきは、同店が展開する名入れサービスです。傘の柄に手彫りで名前や言葉を刻むことで、傘は単なる道具から、贈り物や記念品としての価値を持つ特別な存在へと昇華します。名入れの文字は四代目を継ぐ子息によるもので、一文字ずつ丁寧に彫られます。そこには、モノの背後にある物語や想いを汲み取る力が感じられます。

 

このような商品とサービスを支えるのが、「Whether Company(ウェザーカンパニー)」という同店のコンセプトです。これは「天気」を表わす名詞”weather”と、「~であろうと、なかろうと」という接続詞”whether”をかけた造語で、「天気に関係なく、どんなときも人の暮らしに寄り添う」という意味が込められています。つまり、雨傘だけでなく、日傘、防寒グッズなど、天候に応じた多彩なアイテムを提供しながら、暮らしに彩りと安心を届ける企業でありたいという想いが、この言葉に凝縮されているのです。

 

店は人に会い、
話し、体験する場

 

傘という商品は、決して主役ではありません。しかし、日常の暮らしの中でふとしたときにそっと寄り添い、守ってくれる存在です。

 

そのような傘に敬意と愛情をもって商いのが同店であり、柴田さんの商いの哲学です。売上至上主義ではなく、顧客との信頼関係と、商品への真摯な向き合い方が、長きにわたって地域に愛され続ける理由なのでしょう。

 

さらに同店の存在は、商店街全体の風景づくりにも影響を与えています。単なる店舗の一つではなく、まちにとって必要な文化拠点の一つであり、柴田さん自身が地域の文化発信者として機能しています。商店街の景観に合わせた外観の工夫や、店先に設けられた季節ごとのディスプレイなど、商人としての細やかな配慮がまちの風景をつくっているのです。

 

かつて、商店街は地域の社交場であり、生活の中心でした。時代が変わっても、その本質は変わりません。むしろ、AIやECが進化する今だからこそ、「人に会い、話し、体験する場」としてのリアルな商いが求められているのです。しばた洋傘店のような存在は、その時代の要請に応える最前線に立っているといえでしょう。

 

100年を超える歴史の先にあるのは、決して過去の栄光ではなく、次の100年をどう生きるかという問いかけです。柴田さんはこう語ります。「商いに終わりはありません。お客様と向き合い続ける限り、毎日が新しい挑戦です」。

 

その挑戦こそが、商いが本質的に持つ真の価値であり、同店が今もなお輝き続ける理由にほかなりません。

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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