また訪れたい商店街があります。
そう願いながら、多くの月日が無為に流れてしまったことを、この映画を観て悔みました。その商店街とは、2015年12月23日に街開きをしたシーパルピア女川。この映画とは、東日本大震災によって人口の1割、街の8割が津波に呑みこまれた宮城・女川町の“復幸”への取り組みを描いたドキュメンタリー映画「サンマとカタール 女川つながる人々」です。
最後に女川を訪れたのは2014年6月のこと。被災後の復興再生に向けて、女川町商工会がスタンプ事業に変わるものとして採用した「アトム通貨」を取材したときのことです。
アトム通貨とは、東京の早稲田・高田馬場で2004年に始まった地域通貨。ひと言で表現するなら、「環境」「地域」「国際」「教育」への貢献を目的とする「繁盛を呼ぶ“ありがとう”の地域通貨」です。
その取材時は、地元高校のグランドに、木造・プレハブで建てられた仮設店舗「きぼうのかね商店街」を中心に60店舗で250万馬力(という通貨単位)が流通し、まちに“ありがとう”の輪を広がっている様子を見ることができました。
映画では、復幸に取り組む若手商業者と、それを見守り援護する先輩たちとの交流を丁寧に追いかけ、人と人のつながりこそ“復幸”の原動力であることを描いていきます。タイトルは、水産のまち女川の主要特産物であるサンマと、それを保存する冷凍・冷蔵施設「マスカー」の建設を援助してくれた中東の国、カタールにちなんでいます。映画には取材でお世話になった方々も多数登場し、懐かしい顔を見せてくれました。
映画の中でさまざまな人物によって語られた、こんな言葉が強く印象に残っています。
「難しいけれど、不可能なことはないということを、この建物(マスカー)を見せることで町民の人にわかってもらいたかった」
「復興に重要なこと、それはスピードと品質」
「あの人が生きていたら、こういうことをやっていただろう」
「生かされた意味がここにあった」
「やってみなければわからないことばかりだけど、これをやりとげたっていう事実がこのまちに残るはずだ」
「まちも変わっていくけどね、自分たちも変わらなくちゃだめだ」
「今この場所で生かされている人たちの気持ちづったら、かなり熱いっすよ」
テナント型商店街「シーパルピア女川」が開業してもうすぐ10年。きっと安易な想像を超える苦労と、同じ量の喜びがあったことでしょう。映画の中に出てくる人たちの笑顔がそれを推察させてくれます。人がそこに生きる意味、そしてそこで果たす商業者の役割――そんなことを知るために、いま最も行きたい商店街の一つです。
この写真は、地元商業者で組織する「おながわ春のまつり実行委員会」が主催する「復幸祭のイベント「津波伝承 女川復幸男」という競走の一枚。女川に津波が到達した午後3時32分に「逃げろ!」という掛け声を合図に高台を目指して走ります。津波が来たら高台へという避難行動を伝統としていこうという思いが込められています。
こちらも開催10回を数えています。開催要項を見ていると、賞品の一つに「アトム通貨」を発見。アトム通貨事業に長らく携わられてきた手塚プロダクションの石渡正人さんの訃報にふれ、書かせていただきました。謹んでお悔やみ申し上げます。