優れた質問とは答えの半ばに達している――久しぶりに彼の名前を耳にしたのは、週末に参加したある研究会のことでした。文芸評論家、編集者、作家、美術・古美術収集鑑定家として多くの仕事を遺した知の巨人、小林秀雄の言葉として知られています。
私の世代の大学受験国語というと、彼の書く文章がしばしば出題され、その奥深さから受験生を悩ませてきました。私もその一人です。奥深いと書きましたが、それはしばしば難解でありながら、その真意が腹におちると、そう書くしか術はないというくらい精緻であり、的確だということに気づいたのは、ずいぶん後のことです。
冒頭の言葉にあるよう、彼は問い続けた人でした。他にもこんな問いについての言葉あります。
「できあがった知をもらうことが、学ぶことではなし、できあがった知を与えることが教えることでもなかろう。質問する意志が、疑う意志が第一なのだ」
「問いがそのまま答えになるほど執拗に問う人もあり、問う能力がないから答えを持っている人もあるのだ」
答えが容易に見つからない時代に生きている私たちにとって、大切なのは問い続け、その制度を上げていくこと。どんなに生成AIが発達しても、問いがずれていれば、導き出される答えもまた的外れです。
問いについては、こんな言葉もあります。
「重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。間違った問いに対する正しい答えほど、危険とはいえないまでも役に立たないものはない」
――ピーター・ドラッカー
「大切なことは質問をやめないことだ。好奇心こそ、我々の存在を示すものなのだ」
――アルバート・アインシュタイン
「問いを持った部族は生き残ったが、答えを持った部族は滅びた」
――ネイティブ・アメリカンの諺
「考えなさい。調査し、探究し、問いかけ、熟考するのです」
――ウォルト・ディズニー
さて、あなたは今日、何を問いましたか。問い続けましょう。問いをやめたとき、新保も止まります。