谷川俊太郎さんがお亡くなりになってから2カ月が過ぎた1月中旬、久しぶりに本を手にとりました。『幸せについて』という一冊です。
谷川さんは1952年刊行の『二十億光年の孤独』以来、詩、絵本、童話、翻訳などさまざまな表現活動を続けてこられた日本を代表する詩人の一人。子どものころに親しんだスヌーピーやチャーリー・ブラウンが活躍する『ピーナツ』の翻訳者として出会って以来、折々に読んできた作家です。
本書では「幸せ」がさまざまな表現で綴られています。その中でも、「幸せはささやかでいい、ささやかがいい、不幸はいつだってささやかじゃすまないんだから」に惹かれました。
さて、この幸せ、「仕合わせ」とも書くことをご存じでしょうか。しあわせは「しあわせる(為る+合わせる)」の名詞形として室町時代に生まれた言葉。本来は「めぐり合わせ」の意味で、「しあわせが良い(めぐり合わせが良い)」「しあわせが悪い(めぐり合わせが悪い)」と、評価語を伴なって用いられました。
それが江戸時代以降、「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表すようになっていきました。さらに、事態よりも気持ちの面に意味が移って「幸福」の意味になり、「幸」の字が当てられて「幸せ」と表記するようになったそうです。
ところが、象形文字である漢字の「幸」はもともと拷問器具の一種「手枷(てかせ)を描いたもので、や「刑罰」を意味しました。やがて、手枷をはめられる(刑罰にかかる)危険から免れたことを意味するようになり、思いもよらぬ運に恵まれることから、幸運・幸せの意味へと広がっていきました。
「幸せという美しい蝶は、ピンでとめて標本にすることが出来ないもののようです」と、谷川さんは本書を締めくくっています(あとがきより)。「仕合わせ」でも、「幸せ」でも構いません。あなたの商いが、関わる人たちにしあわせにもたらすものでありますよう。それこそ、あなた自身の幸せに通じるからです。