日本の地方商業をけん引してきた巨星が墜ちました。家業の呉服店「登美屋」を経営するかたわら、協同組合江釣子ショッピングセンター「パル」の理事長として地元主導型SCを運営し、地域経済の活性化に貢献した髙橋祥元さんです。
享年84歳。パル開業43年目の秋、10月28日のことでした。訃報にふれたとき、「地域は母なる地」という、かつてインタビューした際の髙橋さんの言葉を思い出しました。
地域は母なる地
商いとは親孝行
「私たちにとって、地域は“母なる地”です。あたたかく、そして厳しく育ててくれるありがたい存在です。『1億人に1億の母あれど、わが母にまさる母なし』と言いますが、店のある地域もまた、偉大なる母です。地域を大切にする心と行動は親孝行と同じなのです。親孝行ができずに、お客様に親切にできるはずがありません」
こう語っていた髙橋さんの商人人生は、まさに親孝行を貫くものでした。
1973年、東北自動車道のインターチェンジ建設計画をきっかけに、当時人口わずか8000人の岩手県江釣子村(現 北上市)にショッピングセンターを建設する構想が立ち上がりました。後にリーダーとしてSC開発計画を推進した髙橋さんは当時33歳。青年の目には、地域商業の行く末と、なすべきことがどのように見えていたのでしょうか。
江釣子インターが供用開始となった1977年、髙橋さんは村内外の零細小売業者の結束を促し、SC調査研究の視察、自主勉強会、地権者交渉、組合員設立、ゼネコンとの交渉など、すべてが未知の事業に取り組んでいきました。途中、何度も挫折の危機にあいますが、そのたびに粘り強く準備を進めていきました。
SC計画に対して「江釣子事件」と言われるほどの反対運動が起きました。当時の大店法下で全国初となる広域商業活動調整協議会が設置され、協議が行われるまでに難航。計画は孤立無援、四面楚歌の状況に追い込まれましたが、それでも髙橋さんは諦めませんでした。
苦難を乗り越え、江釣子SCが開業を迎えたのは1981年のこと。地元主導の郊外SCとしては県内初、全国では4例目となります。
成長と変化忘れぬ
革新と挑戦は続く
しかし、SCを建てることが本当の目的ではありません。その後の営業を通じて地域の暮らしに貢献し続けてこそ目的に近づいていけます。
「子どもはみるみる成長し、変化していく。子どもの成長、変化に負けないように、私たちパルも成長、変化し続けなくてはならない」と髙橋さんが語るように、パルは常に「3年前計画、5年ごとのリニューアル」で事業を推進していきました。計画の初年度は調査研究、2年目は具体的な計画作成、3年目は実行。組合員全員が考えを共有し、反対なく全員が実行するために必要な段取りであり、事実、パルは成長と変化の歩みを続けています。
髙橋さんは単にショッピングセンターをつくったのではなく、お客様と地域を大切にする商人を育てたのでした。「生活者のライフラインを担う者として、商人として、食べ物一つ、着る物一つとっても、私たちは常に地域とお客様と“見えざる契約”をしているのです。それを常に肝に銘じていなければなりません」という言葉は今もパルに受け継がれています。
髙橋さんから以前、「而今」と記された直筆の揮毫をいただいたことがあります。過去や未来に囚われず今を精いっぱいに生きてこそ、過去は生き、未来が拓かれるのでしょう。まさにそんな商人でした。そして、それは遺された者にしかと引き継がれているのです。