東北自動車道のインターチェンジ建設計画をきっかけに、1973年、当時人口わずか8000人の岩手県江釣子村(現 北上市)にショッピングセンターを建設する構想が立ち上がりました。リーダーとして計画を推進したのは、江釣子で家業の呉服店「登美屋」を営む高橋祥元さん。33歳の青年の目には、地域商業の厳しい行く末と、なすべきことが見えていたのでしょうか。
高橋さん村内外の零細小売業者の結束を促し、SC調査研究の視察・自主勉強会・地権者交渉・組合員募集・ゼネコンの交渉等と準備を進めました。国の高度化事業による小売商業店舗等共同化事業も導入しましたが、このSC計画に対して「江釣子事件」と言われるほどの反対運動が起き、当時の大店法下で全国初となる広域商業活動調整協議会が設置され、協議が行われたのでした。
数々の試練を乗り越え、核店舗に岩手県第1号店となるジャスコ(現 イオン)を迎え、「江釣子ショッピングセンターPAL」は国内としては4例目の地元主導型SCとして1981年12月5日に開業しました。高橋さんの家業「登美屋」の事業理念は「店はお客様のためにある」。商業界創立者であり、昭和の石田梅岩と言われた経営指導者、倉本長治が生涯をかけて説き続けたこの理念がPALにも植えつけられたことは言うまでもありません。
私が「商業界」の記者として江釣子を訪れたのは、たしか1993年のこと。この業界の駆け出しであった私に対しても丁寧に、熱心にお話しくださったことを昨日のことにおぼえています。以来、幾度かお会いする機会をいただき、そのたびに多くをご教示いただきました。私の書斎に掲げられた高橋さんによる揮毫「而今」はそんな交流から頂戴したものです。
PALがたびたびの増床 ・リニューアルにより常に顧客にこたえ続けて40年超。先日、江釣子から一通のメールが届きました。最後にお会いしたのは今年の1月。ご体調の優れないところを、時間を割いてお会いいただいていたことから、それが悲しい報せであることを覚悟しました。10月28日、84歳でお亡くなりになりました。
以下は心の整理もつかないままに返信したメールです。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
お世話になります。笹井でございます。風邪で伏しており、返信が遅れ大変失礼しました。
このたびのご一報にふれ、大きく落胆しております。日本の地方商業を革新されてこられた巨星が一つ手の届かないところへ行ってしまいました。
しかし、その功績はこれからも輝きを放ち、後進の者らを導いてくださるものと確信しております。高橋理事長は単にショッピングセンターをつくったのではなく、お客様と地域を大切にする人を育てた商人でした。
前職の商業界で駆け出しのころ初めてお話をうかがって以来、私もそうありたいと常に学ばせていただきました。私の書斎の壁には高橋理事長から頂戴した「而今」という揮毫が飾られ、怠けそうになるときいつも励ましていただいております。
而今とは、過去や未来に囚われず今を精いっぱいに生きることと理解しています。そうしてこそ過去は生き、未来が拓かれる。揮毫を見るたびに、高橋理事長のやさしく、ときには厳しいお顔が浮かんでまいります。たとえ拙くても信念が正しければやさしく、たとえ巧みでも信念が歪んでいるとき厳しいお顔をされておりました。
人はいつか死ぬ存在であり、それから逃れられる人はおりません。だからこそ現世にいる者は、故人の志を引き継ぎ、而今であらねばなりません。ここに謹んでお悔やみ申し上げるとともに、ご子息をはじめ皆様のお気持ちが少しでも安らぐよう念じます。
そして私も、返しがたいほどのご恩を少しでも次に送れるよう努めてまいります。とりいそぎお悔やみまで。