人口155万人、一日の乗降客数40万人――いずれの数字も伸び続ける神奈川県川崎市は、玄関口であるJR川崎駅の周辺に次々とタワーマンションが建ち並び、大型商業施設がしのぎを削る日本有数の“伸び盛りのまち”として知られています。
駅に直結するショッピングセンター「ラゾーナ川崎プラザ」は、店舗営業面積約8万㎡、300超のテナントが上げる年商は950億円超。2006年開業以来、日本一、二を争う売上高を誇るショッピングセンターです。
そんな巨大SCの向こう側、駅から十数分ほど歩くとまちの様子は一変し、昔ながらの商店街ではそれぞれの店が小さな商いに勤しんでいます。いえ、かつてはにぎわっていましたが、いまは商店街と表現するのをためらうような立地で、1931年創業の和菓子店「新岩城菓子舗」は商いを続けています。
学んだら躊躇なく実践
「幼いころから二代目である父のつくる和菓子が大好きで、和菓子屋の娘であることに喜びと誇りを持っていました。ところが、そんな父が病で仕事ができなくなってしまい……」
そう語るのは三代目女将として店を切り盛りする徳植由美子さん。「だったら私が店を守る!」と、銀行員であった夫・健司さんと共に菓子づくりの修業もないまま、1999年に店を継ぎました。当初は専門書を読みながらの試行錯誤でしたが、応援してくれるお客様の笑顔に励まされ、その期待にこたえようと商いを続けていました。
しかし、ラゾーナ川崎プラザが開業すると、商店街を訪れる客はみるみる減りはじめていきました。新岩城菓子舗も売上が半減、二度目の存続の危機を迎えることになります。
「そのころちょうど、四代目となる息子が修業に出ていました。彼のためにも店を閉めるわけにはいきませんでした。そして何より、私たちのつくったお菓子を手にとって『おいしいわ、いつもありがとう』と言ってくださるお客様がいるかぎり、辞めるわけにいきませんでした」
なんとか打開策を見つけようと参加した商業界ゼミナールで、一つの出会いがありました。朝焼きどら焼きで有名な関西の和菓子店の社長に窮状を告げると、「おいしいどら焼きをつくりたいのなら、毎朝焼かなければあかんで!」と怒られたといいます。
こうした出会いや学びは、何も徳植さんだけに限ったことではなく、誰にでも訪れるものでしょう。しかし、できない理由を並べるだけで、それを実践する人は多くはありません。2008年4月14日以来、修業から戻ってきた四代目の健太さんを中心に教えを守り続け、「朝焼きどら焼」はいまでは年間2万個以上も食される同店の看板商品になっています。
ジャンボいちご大福誕生秘話
業績が回復軌道に戻りつつあった2013年、新たな出会いがあった。地元で八代続く農家「しんぼりファーム」の新堀智史さんが手塩にかけてつくる大きな甘いいちごです。そのおいしさに惚れ込んだ健太さんが、いちご大福に使わせてほしいと頼んだところ、「ぼくのつくったいちごをまずくしないでください」と、にべもないひと言を浴びます。
その言葉で職人魂に火のついた健太さんは8種類のあんこをつくり、愛情をこめていちごをつくる新堀さんの想いにこたえました。こうして、甘さを控えた粒あんによる新たな名物「ジャンボいちご大福」が誕生。地元の資源を生かした、地元の顔の見える生産者との協働という、地域の専門店ならではの魅力を発揮しています。
「以前は、多くのお客様でにぎわうラゾーナ川崎プラザがうらやましてしかたありませんでした。でも、小さな店だからできることはたくさんあることに気づき、いろいろなチャレンジをしてきました。もちろん、たくさんの失敗もしましたけれど、おかげさまで多くのお客様や先輩たちに支えられて、私たちらしい商いをしています」
先日お会いした徳植さんは、笑顔でこう話してくれました。
ギリシャ神話の神、カイロスの語源は機会(チャンス)。そのチャンスの神様には前髪しかないと言われますが、新岩城菓子舗の皆さんはまさにそれをつかみました。学んだら実践、一期一会の縁を大切にする――新岩城菓子舗の商いから繁盛の法則を学びました。