1918年12月15日、福井県武生(現在の越前市)に生まれる。東京府立第六高等女学校卒業。本名、松本知弘。夫の日本共産党元衆議院議員で弁護士の松本善明とのあいだに長男猛がいる。子どもの水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。生涯「子どもの幸せと平和」をテーマとし、原画の数は約9300点にのぼる。1974年8月8日、肝臓がんのため死去。享年55歳。孫は絵本作家の松本春野。
ウィキペディア調にまとめた人物は、いわさきちひろ。彼女のエッセイ『ラブレター』から、夫・松本善明との出会いを書いた一文があります。タイトルは「六足の靴」。とても良い文章なので、今回はそれを紹介します。
いろんな本を読んで、感性を養ってください。さまざまな出自や経歴のお客様に寄り添い、その幸せを演出するのが商人の務めである以上、無駄な読書などありません。
六足の靴
中野で戦災にあった私の一家は信州に疎開していましたが、終戦後、私一人だけ上京してきていました。絵の勉強をしていたのです。
そのうち私は一人の青年と知りあいました。戦争直後のこともあって彼はいつもなっぱ服に草履をはいてよく私のところにやってきました。「絵を見せてください」ともいってきましたが、彼は一人ぐらしのあじけなさもあって私がよくつくっていたサンドイッチが目的だったんだそうです。
かけだしの絵かきだった私にも、ある日わりとたくさん画料が入ったことがありました。昭和も二十四、五年になるとそろそろいい靴をはいている人も多くなりました。彼より年上の私は少し姉さん気分もあったのか、彼に、「靴を買ってあげましょうか」といいました。すると彼は靴なら海軍からもらってきたのが六足もあるからいらないというのです。ではどうしてそんなにある靴をはかないのでしょう。彼はつぎのようなことをなにげなくいいました。
「僕は一生お金のたくさん入るような仕事にはつかないつもりなんです。ですからとても靴なんて買えるようにはならないと思います。だからあの六足の靴を一生はこうとおもって大切にしているんです」
お金をたくさんもうけようと思っている男の人はたくさん知っていました。けれど、もうけまいと思っている人は私ははじめてでした。私はこのことばをどうしても忘れることができませんでした。