高度度経済成長期に生まれた私にとって、商店街は生活の場であり、遊びの場であり、学びの場でした。幼いころは母親のお供で、長じてはお使いとして商店街でする買物には、必ず会話が添えられていたものです。
それは近所の噂話だったり、商品に対するこだわりだったり、学校の成績のことだったりと、店先での立ち話の内容は多岐にわたりました。このとき私は他人の大人に対する所作と会話の仕方を学んでいたのでしょう。
学校のクラスメートには、米屋、たばこ屋、酒屋、うどん屋、魚屋、惣菜屋、眼鏡屋、本屋など、「――屋」と言われる業種店を営む家の息子、娘が多くいました。放課後は彼らの家に上がりこみ、ほとんどは店の入り口と家の玄関は一緒でしたから、小さな店の商売は私にとっても身近な存在でした。
忙しいときなど、友だちとともに商品の補充や近所への配達など、店を手伝ったことも、その後におやつをごちそうになったことと併せて懐かしい思い出です。現在こうした仕事をしているのも、そのときの楽しさが根っこにあるのかもしれません。
当時の商店街を思い出すとき、まずよみがえるのは匂いです。お茶屋さんの軒先で炒られるほうじ茶の香ばしい匂い、魚屋さんが魚をさばく生臭い匂い、惣菜屋さんから漂ってくる食欲をそそる匂い……そこには商う人の営みが間近にありました。
ネット通販で何でもそろう今日だからこそ、こうした店が必要な時代が訪れているように思います。匂いは一つの例ですが、リアルをどれだけ極めるか、そこに店の役割があります。