笹井清範OFFICIAL|商い未来研究所

良品計画と倉本長治〈後編〉

今、無印良品では生鮮三品を取り扱う店づくりにチャレンジしています。店によっては既存のスーパーマーケット企業と提携し、別の店では自前での売り場づくりにチャレンジしています。

 

「なんでMUJIがスーパーをやるの?」と思う人もいることでしょう。良品計画会長の金井政明さんが、月刊誌「商業界」でその理由を語っています。そこには商業界創立者・倉本長治の思想の実践がありました。

 

 

二律背反をやってのける

強力な番頭が必要だった

 

商売とはもともと地域に根差しているものです。それがすごく大事なことなのに、チェーンストアはそれを忘れてしまったのではないか?

 

チェーンストアだから、本部機能が店舗の役に立つために存在することはとても合理的なことです。ところが、現実には、本部が決めて店舗が作業するということになってしまって、まったく理にかなわなくなってしまった。

 

そのころ堤清二さんは、「ハードのチェーンストアではなく、ソフトのチェーンストアをつくるべきだ」と言っていました。ハードとは、品揃えから、什器から、建物から、接客応対から、全部統一したチェーンストア理論の標準化の中で、よく言われていたような内容です。そうではなくてソフトとは精神です。「精神を共有しながら、店舗が地域に根差し、地域に向いた商売をやりましょう」ということを言っていたわけです。

 

これは堤さんの功罪とも言えますが、彼はたくさん会社をつくりました。そして、会社を「つくり終わった」のではなく、常に「つくる途中(過程)」にもかかわらず、他にもやらなければいけない事業が、あの人の頭からはたくさん湧き出てくるわけです。

 

 

しかし、二百何十社もつくって、それを全部自分が面倒を見るわけにはいかない。当然、人に任せるのですが、単純に言えば、セゾンには二百何十社をまっとうに経営できるほどの経営者が育っていなかった。だから、どの事業が良かった悪かったではなく、今から考えればみんな事業としては良かった。ただ、それを誰がやったかということ、それだけです。

 

堤さんは、「ここに川をつくって街をつくるんだ」と言って、普通はやらない投資をどんどんやるわけです。でも、「ショッピングセンターをつくるんじゃなくて、街をつくるんだ」というその概念自体は間違っているかというと、正しいんです。だからショッピングセンターの敷地内には「川も欲しいし、ホタルもいる所をつくりたい」というのは正しい。

 

ただ、それをどう具現化しようかというとき、投資はどの程度に抑えるべきか計算すれば分かるわけで、そこと堤さんの考えと、この二律背反をやってのける強力な番頭がいないとできないわけです。ビジネスは二律背反です。そのつじつまをどう合わせるかが「仕事」です。

 

確かに、堤さんは飛び過ぎていた。それに対して、セゾンの人たちはみんな、「できません」とは言えなかった。それが罪なのです。結果、そうできない番頭たちが、ばんばんやってしまったというだけの話だと思います。

 

最初は疑われながらも

何年もかけてやっていくしかない

 

私もこういう立場になってくる過程で、いろんなことを考えました。今は会長をやっていますが、私が常務だったころ、良品計画は一度業績が悪くなった時代があって、当時は正直言って今の私が否定しているような本部と店舗の関係の時代でした。

 

それがそのころのうちの体質だったわけですが、(前会長の)松井忠三も含めて、それをひっくり返して、ひっくり返したものを仕組みや制度に落とし込んで運営化し、それを磨いていこうとしたわけです。

 

小売業の改革は簡単ではありません。小売業の業績が悪化したときに、いきなり現場に思考力が働いたり、改革する意識や概念が湧き出るように社員を育てていたかといえば、そうではない。本部が「こうやれ、ああやれ」と言っていた会社の現場では社員がそんな風に育つわけがないんです。

 

だから、「現場が主役なんだ」ということを言葉としてまず提示しながら、みんなが「この会社は本当にそう思っているんだな」と実感してもらえるようなことを――最初は疑われながらも――何年もかけてやっていくしか、やり方はなかったわけです。

 

業績的なことの回復なら、バランスシートを見て経費を落としていけば、営業利益ベースでは改善します。しかし、その営業利益の回復に見合った商品力をどうするかとか、販売の仕組みをどうするかということを、現場を主役にして立て直すには、何年もやり続けなければならない。

 

無印良品の改革についても、どこかの時点で店舗の現場側からある程度は信用されたのかもしれませんが、いや、まだまだ全部は信用されてはいないのかもしれません。だから、店舗から本部にもどんどん意見を挙げてもらい、本部はそれを改善する。店舗から挙がってきたものに対して、できるだけ店舗の意見を尊重して変えていく、ということの積み上げが必要なのだと思います。

 

 

近代小売業によって本物がなくなってしまった。日頃、新聞を読んでいても何をしていても、人間とは本当にろくでもないものであって、いかに人間が駄目かということが分かるものです。見えっ張りで、人の目を気にして、「あの人と比較して私は幸せだ」とか、「でも、上の人の生活を見ると、自分は月に行けないからまだ不幸だな」と考えるような人間の性――。

 

「このビルは自社ビルです」と人間の社会では言うけれど、カラスの許可は取っていないわけです。そう言うと普通の人は笑いますが、私はすごく真面目にそう思うのです。なんで人間がそうやって勝手に決めているのか? 鳥が空から見れば、地上は人間の巣だらけで気持ち悪いだろうなと思う。ネズミとか蜂とか、動物の巣だらけの世界を想像してみてください。気持ち悪いですよね。

 

私はそういうところまで考えてしまいますが、そう思考していると、物の見方も変わってくるものです。

 

 

近代小売業がなくしてきた

本物を取り戻す営みの根本にあるもの

 

今、アマゾンの誘致合戦で、アメリカのいろいろな州が「議決権まであげるからぜひうちへ」などとおかしな誘致をやっているとき、シアトル近郊のポートランドに住む主婦が、新聞の投書欄に次のように書いていたそうです。

 

 

「アマゾンさんとウォルマートさんがそんなに大きくなりたくて場所が欲しいなら、みんなで月の南側の土地をあげましょうよ。そうしたらこの街にはまた、個性豊かな商店が復活して、地域経済も良くなり、私たちもちゃんとした仕事に就けるでしょうから」

 

例えば、良品計画の本部の近くの店で、もうなくなってしまいましたけど、麻婆茄子の弁当がうまいお店がありました。あるいは、見た目は汚い店だったけど、タンメンやうどんみたいな焼きそばがうまい店など、バツグンにおいしい店がありました。店主が具合悪くて休んでいると聞けば、「うちから修業に行かせるから店を開けてくれませんか」と言って私が手紙を出した店もありました。

 

漬物だって、スーパーマーケットや百貨店にはおいしいものはなかなかない。なぜなら、近代流通が「できるだけ多くの量を、できるだけ遠くまで持って行って商売しよう」とした結果、愛情も特徴もなく、添加物がたくさん入った商品だらけになってしまい、「本物」がなくなってしまったからです。そうやって、近代小売業がなくしてきたことがたくさんあるわけです。

 

 

米をつくったり野菜をつくったり、豚や牛を飼ったり、船で魚を取りに出たりという人は今、本当にいなくなりました。みんなその仕事から離れていく中で、世界の人口が100億人に向かっているというときに、誰が日本人のための食べ物をつくってくれるんですか?

 

だから、良品計画では生鮮食品の取り扱いを始めています。今の私たちの使命は、生産者と消費者をつなげること。それは、顔写真を貼ったPOPを店頭に置くだけの単純なものではありません。

 

生産者が売場に立ち、「あんたの大根、うまかったよ」と言われるような交流があって、「じゃあ、もっとうまくしよう」と言いながら、11月の大根の収穫期には消費者が畑に行って大根を一緒に掘って、それを使った大根鍋を食べるという関係をつくることが、今の小売業の役割、使命なのではないかと私は考えています。

 

そうしないと、作り手がいなくなってしまいますから。われわれ全員、そういう方向で仕事をしようということであり、それは、売る立場の発想ではなくて、結果的にお客様がどう思うかということでもなくて、「売る側が、お客様の気持ちで考えることが重要だ」ということです。

 

 

でも、それこそが、倉本長治さんの精神なんじゃないでしょうか。

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笹井清範

笹井清範

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

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